心理から見た「般若心経」 その10 。
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心理から見た「般若心経」の色即是空
なんか般若心経について随分書いたような気がしますが、
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仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時
照見五蘊皆空度一切苦厄
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と3行目までしか進んでいないんですね。
なので少し端折ることにします。
4行目からの
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舎利子色不異空空不異色
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
舎利子是諸法空相
不生不滅不垢不浄不増不減
是故空中 無色無受想行識
無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界乃至無意識界
無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽
無苦集滅道 無智亦無得以無所得故
菩提薩埵依般若波羅蜜多故
心無罣礙無罣礙故無有恐怖
遠離一切顛倒夢想究竟涅槃
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は、要は
「み~んな『空』だし、み~んな『無』なんだから、心に邪魔をするモノもひっかかるモノもないし、だから不安も怖れもないんだよね。歪んだ認知からも遠く離れているからパーラミターに行けるぜ!」
と観音様がシャーリープトラという凄い知恵者のお釈迦様のお弟子さんに言ったという話です。
さすがにちょっと端折りすぎかな?
さてこの中ではなんといっても「色即是空 空即是色」が有名なのですが、「色(rūpa)」はモノを指すので、
「すべてのものは実体はなく、因縁によってその『果』があるだけだ」
ということになります。
ここの部分に関しては「般若心経は間違い?」(アルボムッレ・スマナサーラ著)という本に、「大きな間違いだ」との指摘がありますが、筆者は別に仏教学者でもないし「上座部仏教派」でも「大乗仏教派」でもないので、こだわりも無いし悩むことも無いワケです。
「無」と「空」も違う意味だそうですが(ちなみに般若心経で連続して出てくる「無」は、「na」という否定を安庭酢言葉で、「ない」という意味だそうですが)、どちらもサンスクリット語の「śūnya(シューニャ)」を訳した字だそうだから、一般人の筆者としては「移り変わるもの」と考えれば、これもまたこだわりも無いし悩むことも無いんですね。
なんだったら「こだわりも空だし悩むことも空だ」と言ってもいいくらいです。
それよりも心理学的に大事なのは、「因縁によってその『果』がある」という部分です。
カウンセリングに来られる方は、「因果」に囚われすぎている人が多いんですね。
ここについては次回しっかり書きたいと思います。
心理から見た「般若心経」の受想行識
さて『色即是空 空即是色』についての話に戻りますが、スマナサーラ師の指摘は要約すると 「『色(物体 人で言うと肉体)』イコール『空(移り変わるもの)』であるというのはそのとおりだ。しかし『空(移り変わるもの)』イコール『色(物体 人で言うと肉体)』だというのはおかしい。リンゴは果物であるというのは正しいが、したがって果物はリンゴであると言うようなものだ」 ということのようです。 言われてみるとそんな気もしますね(「気もする」程度なので、別に反論もしないしこだわらないのですが…)。 ちなみに「受想行識」についてはまだ書いていないので、簡単に筆者なりの解釈を書きます。 「受」は刺激を感じるということ。 ただ心理学的に言うと、ここで閾値の問題が出てきます。 閾値とは例えば聴覚テストの場合、音がだんだん大きくなっていくと、最初に聞こえたポイントのことを指します。 この場合、小さい音でも聞こえたら聴覚の閾値が低いということになり、歳を取って耳が遠くなって大きな音でやっと聞こえるという場合だと、閾値が高い(早い話が音に鈍感)ということになります。 最近よく「わたしはHSP」という人にお目にかかるのですが、心理としては「感覚」とか「感受性」の閾値が低い人のことをそう呼んでいるワケですね。
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