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心理から見た「般若心経」 その2

「自由」と「自在」


「その1」では「知識」と「知恵」について述べました。
今回はその続きです。

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ)

まずは「観自在菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)」から。

アヴァローキテーシュヴァラを観音と訳したのは鳩摩羅什(くまらじゅう←4世紀の末にシルクロードを通って西域から中国に渡り、仏教を伝えた僧「クマーラジーヴァ」の漢訳)。

彼は「観察(する・される)という「avalokita」」と「音・声」の「svara」で、苦しむ人々の声を観て助けに来るという意味で観世音と漢訳したんですね。

それに対し、日本人にとっては三蔵法師でお馴染みの玄奘は、「avalokita」と「自在」の「īśvara(イーシュバラ)」の合成語と考え「観自在」と漢訳しました。

さて、「自在」の意味を調べると、Wikipediaでは「束縛が無く自由な状態のこと」となっており、goo辞書によると「意のままであること。自分の思うとおりにできること」と書かれています。

じゃあ「自由」は?

同じくWikipediaでは「他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていること」となっており、goo辞書はもう少し詳しく、下記のように書かれています。

1 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。
2 勝手気ままなこと。わがまま。
3 《freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。

ここで重要になるのは3です。
何故ならここでは仏教について考えているのであって、仏教は哲学だから。

goo辞書に書かれているのは、おそらく仏教にも詳しい心理学者のエーリッヒ・フロムの考え方をまとめているのだと考えます。

フロムは「…からの自由」を消極的自由と呼び、「『…からの自由』は個人を孤独にさせ、その孤独は不安や絶望につながっていく。その結果人々は人間は「個性化」への道を歩み始めるが、孤独や無力感から逃れるために何かに服従しようとし、自由から逃走してしまうと警告しました。

しかし「…への自由」は、自我の実現を目的とした思考や感情の表現ができる状態ということであり、それにより人は自身の尊厳を守り自発的に行動することができるということです。

でも、ちょっとかりにくいですよね。

ということで、筆者がカウンセラー講座で用いている「欲求」の図で考えてみましょう。



図のように、人間の欲求というのは「不快」から離れたいというのと、「快」に近づきたいという2種類があります(ちなみにカウンセリングに来られる方の悩みは、圧倒的に『「不快」から離れたい』という『苦』が多い)。

「…からの自由」というのは前者で、「…への自由」というのは後者と考えられます。

ついでに言うと、仏教によると苦悩は大きく8つに分けられていて(四苦八苦)
1 生
2 老
3 病
4 死
5 愛するものと別れること(愛別離苦)
6 憎らしいものに遭うこと(怨憎会苦)
7 欲しいものが手に入らないこと(求不得苦)
8 心身から燃えたぎる煩悩(五蘊盛苦)
となりますが、このうち6が「不快」から離れたいという欲求で、5は「快」から離れたくない、7が「快」を得たい欲求と考えてもよいでしょう。
もっともこのあたりの話をしているとどんどん流れていきそうなので、話を「自由」と「自在」の違いに話を戻します。

さて、自由と自在の一番の違いは「…からの自由」であろうが「…への自由」であろうが、ともかくそれが上手くいかない状態を「不自由」というのに対し、「不自在」という言葉は聞かないということだと思います。

では、自在じゃないことを何というんでしょうね?

とにかくなんとなく感じるのは、「自在」というのは絶対的な「肯定」であることではないでしょうか。

つまり観音様というのは、「苦しむ人々の声を観て助けに来る」存在であるとともに、絶対的な「肯定(してくれる)」の存在なのではないかと考えられます。

そして般若心経も「無」とか「空」とかいう言葉がガンガン出てくるにもかかわらず、或る意味「絶対的な肯定」なお経だと筆者は思っています。

「父性」と「母性」


ところで「自在」についてもう少し蘊蓄を述べると、「自在」とは「īśvara(イーシュヴァラ)」の訳と書きましたが、ヒンドゥー教(当時はバラモン教)では世界を創造し支配する最高神をイーシュヴァラと言うそうです。

なお「イーシュヴァラ」は「自在天」、「マハーシュヴァラ」は「大自在天」と漢訳されたのですが、実はイーシュヴァラはシヴァ神(破壊と創造の神であり、ヒンドゥー教の最高神の一人)の別名でもあります。

ここでちょっと話がそれますが、「自在天」のように最後に「天」がつく神(帝釈天、大黒天、毘沙門天 他)はたいていヒンドゥー教が元祖なので、日本の仏像では温厚な顔をしていても、インドとかでは結構怖い像が多いんですね。

中でも「お稲荷様」と我々日本人が呼んでいる「荼枳尼天(だきにてん)」は、日本では白狐に乗る天女の絵が多いのですが、元々インドではダーキニーとは人を食べる女神なので、その絵や像の中には、なんと髑髏のネックレスをしていたりするのがあります。

ダーキニーはシヴァ神の妃である女神カーリーの侍女という説もあり、カーリー(図)は戦いの神なので、それでカーリーに似た姿として想像されたかもしれません。

しかし、女神というよりは日本人の感覚で言うと「鬼」に近いですよね。

また日本では「恵比須様」と並んで福の神と崇め奉られる「大黒様」も、元々はインドの破壊神・シヴァ神の化身「戦闘神・マハーカーラ」なので、これもかなり怖い像が存在します(例;平野教法院 https://ameblo.jp/toriwata/entry-12162642089.html)

こんなことを書いているとなかなか話が進みませんけど、これはこれで日本人の民族的な特徴が表れている例ではないかと思うのです。
なぜかというと、心理学的に言うと日本を含め東南アジアには「母性」的な民族が多いんですね。

それに対し、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を主体とした(特に欧米)国家では「父性」が原則となっています。

母性というのは「抱合機能(やさしさ、面倒見)」、父性は「切断機能(決断、善と悪等の区別)」が中心であり、故河合隼雄先生は抱合原理を「わが子が殺人を犯しても守る」、切断原理を「例え我が子でも殺人を犯したら殺す」と説明されています。

こうやって考えると、荼枳尼天も大黒様も日本ではとっても温厚な仏像となり、観音様はまるで女性のように造られている仏像が多いという理由がなんとなくわかりますよね。

さて、いよいよ本文に入っていきます。

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
かんじざいぼさつぎょうじんはんにゃはらみったじ
「観自在菩薩は、深遠なる『智慧の完成(「般若波羅蜜多」←その1参照)』の修行を行っていたとき」

ここまではOK。

で、

照見五蘊皆空
しょうけんごうんかいくう
「五蘊は本性が空であると明らかにされた。」

と続くのですが、
なんじゃ?五蘊って…?

というところで、続きは「その3」へ。


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