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心理から見た「般若心経」 その6

「六波羅蜜」の「自戒」


「その5」では「六波羅蜜」の「布施」について述べましたが、今回は続きです。

漫画家のきくち正太作「天上の眼」という作品に、主人公である少年の父親がある人にプレゼントを贈った後、こう息子に言いました。

「男の理想はサンタクロース
相手の喜ぶ顔を眺めて悦に入るなんてはしたないマネができっか」

う~~ん、かっこいい!

プレゼントって奥が深いな~。
布施の心を、しっかりと表した台詞ですね。

ということで、今回は六波羅蜜(布施 持戒 忍辱 精進 禅定 智慧)の2つ目、「持戒」についてです。

ダライ・ラマによると、「物惜しみせずに正しい布施をするには、道徳的な自制心が身についていなくてはならない」となります。
布施ができるようになるには、持戒が必要だということですね。

持戒とは仏教者で言うところの「戒律を守ること」となるのですが、我々一般の人間にはそこまでは難しいので、常識だけではなく『良識』に従うことと考えても良いのではないでしょうか。

これは交流分析の自我状態で言うと、道徳やルールを守る(守らせる)という役割を担う【CP】となります。

ところで、ダライ・ラマはこの「戒律を守ること」というのは「自己中心主義を抑えること」と書いています。

この考え方は、とてもわかりやすい!

となると、自己中心主義というのは【FC】なので、その【FC】を制御できる【CP】を鍛える実践行動が「持戒」ということになるわけです。

ところがここで厄介な問題が出てきます。
うつ病で悩む人や、自分はアダルト・チルドレンだと苦しむ人は、或る意味【CP】が【FC】を制御するのは良いのですが、その制御方法に問題が有って【FC】が委縮してしまい、機能しなくなっている状態となっているケースが多いのですね。

つまり下図1の状態であったものが、



【CP】が【FC】を抑圧してしまい、【FC】のエネルギーが枯渇しそうになっているのが鬱状態であり、また【FC】の機能である「創造性」とか「個性」が働かず、逆に【CP】に迎合する【AC】に圧倒されている状態が下図2となります。



となると、持戒とは単に【FC】を押さえつければ良いというものではないということがわかってきます。

【FC】をもっともシンプルに言うと「欲求」となるのですが、欲と言ってもいろいろあります。
向学心だって「欲」だし、好きな人の笑顔を見たいというのも「欲」ですよね。
逆にオレオレ詐欺をやる人も、「欲」に動かされているワケです。

だとすると、ここで制御する対象、つまり欲の中身を見分けられる「知恵」が重要となってくるのですが、それが自我状態の【A】の役割となります。

すなわち、図で表した「心(自我状態)」の問題点は、【A】がしっかりしていないところに有るということがわかります。

「持戒」は人間の欲を「篩にかける」役割


さて、先ほど「持戒とは単に【FC】を押さえつければ良いというものではない」と書きましたが、これはとても大事でして、なぜかというと持戒だって要は「自分が彼岸(パーラミター)へたどり着くため」の実践(行動)なのであって、布施と同じく「自分の為」にやることなんですよね。

前回の話と重なりますが、自己の成長や自己の完成(これを自己実現と言い換えるとわかりやすいかもしれません)の為には、結果的に自分を落としてしまう欲(例えば暴飲暴食とか、ゲームやギャンブルの娯楽にどっぷり嵌るとか)は抑えなければいけません。

でもそういう欲も、残念ながら人間の心には存在します。

だからこそルール、交流分析で言うところの【CP】という自我状態の出番なのです。

交流分析のセミナーとかでは、なぜかこの【CP】のイメージを悪くさせるようなことを言っている講座もちょくちょく見かけますが、『完全主義』とか『~へき主義』とかは、この【CP】が行き過ぎていたり、バイアス(歪み)がかかっていた場合に生じるのであって、その場合問題なのは【CP】そのものではなく、「行き過ぎ」や「バイアス」なのです

そしてその【CP】のモノサシというのが『戒』だと考えればよいのではないでしょうか。

またこれは逆から考えると、人間の欲、つまり【FC】を「篩(ふるい)にかける」役割とも言えます。

つまり【CP】という篩にかけられて、下に落ちずに残ったものは、伸ばしていくべき『欲』と言ってもいいでしょう。

宗教学者の故ひろさちや先生は、欲を「自然の欲望」と「奴隷の欲望」に分けられました。

自然の欲とは、充足されたら消えていく欲望で、例えば喉の渇きなどはある程度水を飲むと消えていきます。

ところが奴隷の欲望とは、手に入れても消えないばかりか「もっと、もっと」と膨れ上がる欲望です(どちらかというと「奴隷の欲望」というより、「その欲望の奴隷にさせられてしまう『欲望』」と言った方がわかりやすいですね)。

権力欲とかお金なんていうのは典型的じゃないでしょうか。

さて、このひろさちや先生の考え方は、「もっと、もっと」となるかどうかという篩なわけですが、しかしこれだと前に書いた「向学心」とか「研究の欲求」とかも「奴隷の欲」に振り分けられてしまう可能性もあるので、実際はもう少し複雑な篩が必要でしょうね。

そしてこの篩がしっかりとかけられている人が、人格者ということになるのでしょう。
(ここで話はちょっと逸れますが、「人格」という言葉は明治時代に井上哲次郎が英語の「Personality」に対する言葉として作った造語だそうです。しかし心理学においては「personality」という語には価値的な意味が含まれません。だから心理学で「personality」という言葉が出てきた時は、どちらかというと日本語で使われている「性格特性」という感じで捉えた方がよいのではないかと思います)

しかしこういうことを考えていくと、交流分析のエゴグラムテストも、やれ「【CP】の値が高いから完全主義になるのでもう少し下げろ」とか、そんな簡単に決めつけるのではなくて、【CP】の質(篩の質)をどのように高めていくかが大事なのだということを頭の中に置いておく必要がありますね。

(自我状態についての詳しい説明は、姉妹団体のNPO日本交流分析協会のホームページの「交流分析エゴグラムテスト」に詳しく書いてあります。興味のある方はご参照ください。https://npo-jisedai.org/ego.html


というところで、続きは「その6」へ。


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