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心理から見た「般若心経」 六波羅蜜の「智慧」

さて「真理から見た般若心経」も、いよいよ六波羅蜜の最後、「智慧」になります。

ちなみに智慧とはAIに聞いてみると
「物事の真理を見極め、悟りに至るための認識力や精神作用」
だそうです。

わかりにくいですね。
ということでネットでもちょっと調べると
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知識は知る事によって得る事が出来ますが、智慧は体験・経験によって得る様々な「気づき」(日蓮宗ポータルサイト)

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『真理を見極めること』です。例えば仏教には『諸行無常』『諸法無我』『涅槃寂静』『一切皆苦』という四法印、つまりは4つの真実が説かれますが、これらをきちんと見極めることも『智慧』の一つ。(​浄土真宗東本願寺派龍飛山法善寺)

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生まれた時から持っている先天的なのものが智慧、後天的なものが知恵・知識なのです。(東光寺 横山友宏副住職)

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といろいろ書かれていますが、これもまたよくわからない…。

お釈迦様のポジションに到達するには、この六波羅蜜という6つの実践行動が要るというのはわかったけど、この「智慧」という実践行動は、何をどうやったらいいんでしょう?

阿耨多羅三藐三菩提というのはお釈迦様の境地がなのだそうですが、前回これについては「anuttarā samyak-saṃbodhiḥ」を無理やり漢語にしてると書きました。

ちなみにこの原語を訳すとこうなります。

「a(ア)」⇒「無い」
「nuttarā(ヌッタラー)」⇒「上」
「sam(サム)」⇒「正しい」
「yak(ヤック)」⇒「平等」
「saṃ(サン)」⇒「正しい」
「bodhiḥ(ボディ)」⇒「目覚め」

つまり「この上なく正しく平等の正しい目覚め(悟り)」ということで、仏教の本などには無上正等正覚と書かれています。

そしてここに至るには智慧が必要で、智慧とは『真理を見極めること』であり、それは『先天的』で、しかも『体験・経験によって得る様々な「気づき」』だということですよね。

そりゃそうなのでしょうが、例えばAIの言うところの「物事の真理を見極め」る力というのも、そもそもそれがあったらもう悟りの世界に居るのではないのか、という気がします。

じゃあ、それが無い人に「物事の真理を見極め」ないとパーラミターに行けないよ って言うのは、パラドックスになってしまうのでは?

何にしろ般若心経の解釈も「もう少し、わかりやすく教えてもらえないか」 と思ってしまいます。

お釈迦様と応用行動分析


ところで少し心理学も交えた話に変わりますが、これは筆者が大学で応用行動分析の講義に使っていた例です。

「うちの子は勉強しない」と嘆いている親御さんが陥りがちな【認知バイアス(歪み)】というのがあります。

なぜ勉強しないかという理由について、「バカだから」と言う人が結構いるんですね。

ではちょっと下図を見てください。



実はこれは同じ形態を、表現を変えて言っているのに過ぎず、因果関係ではありません。

しかも「行動(勉強しない)」を問題とせず、「人(うちの子)」を問題としています。

この場合大事なのは、どういうきっかけ(先行刺激)を提示し、少しでも勉強してもらうか(行動⇒スモール・ステップで)であり、もし少しでも勉強したら(行動)、その後にどのような彼にとっての良い事(快)を提供できるか(後続刺激)であって、この先行刺激と後続刺激の工夫に勝負はかかっています

ちなみに筆者は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という話が嫌いなのですが、理由はここにあります。

ご存じとは思いますが、粗筋はこうです。

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大泥棒のカンダタが、生前蜘蛛を殺さず助けたことがあったので、お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らしてカンダタを地獄から救い出そうとする。

カンダタがその糸を登って脱出しようとしたら、他の罪人まで後をついてよじのぼってきたので、これは糸が切れてしまうと思い「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだ。下りろ!」って叫んだら、カンダタのすぐ上で糸が切れて、みんなまた地獄へ落ちていった。

カンダタの無慈悲な心が罰をうけて元の地獄へ落ちてしまったのが浅間しく見えたのか、御釈迦様は悲しそうな顔をしてまたぶらぶら歩き始めた。
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これも理屈は一緒です。



因果ではなく循環している内容なんですね。

しかも、ただ蜘蛛の糸をおろしてあとは放ったらかしみたいな雑なやり方は、お釈迦様の指導方法とは到底言えません(そもそも蓮の花がいっぱいの極楽にいるのは、阿弥陀如来ですし)。

ちなみにお釈迦様は偉いもので、人殺しの極悪人(アングリマーラ)が己の罪に気づいて死のうとした時、「今まで行った悪い事が、死ねば許されるというものではない。そうではなくて、行った悪いことは消えないが、これから行う良い事で少しでも償うことはできる」という意味の事を言っています。

これはわかりやすく言うと、マイナス100レベルの悪いことを積み重ねた人間でも、これからたとえプラス10でもプラス20でも人のために良いことをすれば、総トータルすればマイナスは減るぞということなんですね。

またお釈迦様は、自分の名前すら覚えられないほど記憶力が弱い周梨槃特という弟子に、「自分の愚かさを知ることは大切だ」と励まして、「塵を払い、垢を落とさん」と唱えながらひたすら掃除をすることを教えました。

結果、何でもすぐ忘れてしまう周梨槃特でも目標を達成、つまり悟りを得たそうで、そして亡くなった後彼の墓から生えてきた草が「茗荷(みょうが)」だそうです。

ここから、茗荷を食べると物忘れがひどくなるという言い伝えが出来たそうですが…。

そうやって見ると暑い夏に、冷たい冷ややっこの上に茗荷を乗せて食べられるのも、お釈迦様のおかげなのですが、まあそんな話は置いといて、お釈迦様はとても合理的に、しかも相手に合った方法で人を教え、そして育てたという話です。

心理学の立場から見ると、お釈迦様というのは応用行動分析を使う天才なんです。

ところで周梨槃特がそうだったかどうかは知りませんが、人の名を覚えるのがすごく苦手だという人は、発達障碍ADHDタイプに多いんですね。

またADHDタイプはワーキングメモリーが上手く働いていないので、物事を片っ端から忘れていくというケースがよくあります。
ちなみに筆者も思いっきりそうなのですが…。

ということは現代にもお釈迦様がおられたら、筆者も悟りを得ることができたかもしれないですね。

ただ問題は、筆者は掃除が大嫌いなのです。


というところで、続きは「その10」へ。


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